(ヴェーダはサンスクリット語で知識という意味で、広範囲に渡る伝統的な知識の集合体であり、インドで編簒された一連の文書の総称です。
ヴェーダの歴史はさまざまな文化や思想、知識などを融合しながら成長してきたものといえます。
ヨーガも吸収されたものの中の一つとして考えるのが良いと私は思っています。
ヨーガという言葉はヴェーダの最後の文献、『ウパニシャッド』の中に見られます。)
ヴェーダの歴史は今のヒンドゥーの歴史に大きな影響を与えています。
ヒンドゥーはヴェーダ以来のバラモン教や民間信仰を吸収したものです。
例えばガネーシャはヴェーダの中に見られないそうです。(ガネーシャは民衆の習慣や生活から生まれたもの。)
クリシュナはヒンズーに大きな位置を占めていますが、クリシュナもヴェーダの中にありません。
そしてヨガもヴェーダから派生したと言われることが一般的にとても多いですが、実は違うようです。
(ヨガはマガーダというエリアで始まったと言えます。マガーダは北インドの州で、すぐ上が今の南ネパール。パーリー語を話す地域。(仏陀もパーリー語)
マガーダというエリアにヴェーダの痕跡は何もなく、ヴェーダの伝統はもっと古い時代になります。)
ではここから、ヴェーダの世界観とヨガの世界観を見てみましょう。
ヴェーダの世界観
・すべてのものに神を見出す
・供物を感謝の気持ちとしてお返しする
・祭りを行う
・環境、自然界と調和して生きていかなければいけないという思想
・死んだら極楽浄土に行く(←ヨガの初期とは全く違う考え方です)
ヨガの世界観
・初期のヨガでは全く儀式がなく、儀式というものに興味がない
・儀式はお願いごとをするが、お願いごとをするのは欲望だと捉え、良くないと考える
・初期のヨガでは世界を良くしようとは思っていない《世界から逃れようとしているもの》
・ヨガの最終目的は、輪廻転生から逃れること
このように、ヴェーダの世界観とヨガの世界観はほとんど違うものであり、別のものとして捉えることができます。
○ヴェーダでは
【極楽浄土に行く】
良いことをしたら良いことがあり、
悪いことをしたら相応の罰を受ける。
天国と地獄というような死後の世界観。
○初期のヨガでは
【輪廻転生から逃れる】
輪廻転生を終わらせ、苦しみのない世界に行くために、一瞬一瞬を丁寧に生きる。カルマを増やさない。
実は、ヨガの始まりは、シュラマナです。
記述・発掘物、共に見つかっています。
(バラモンとシュラマナとは
当時前6~5世紀の宗教家は、バラモンとシュラマナに大別できる。バラモンはヴェーダに基づきお供えや儀式やお祭りを行いました。
シュラマナはお祭りや階級制度に反発し、修行をしていた人々で思想家。バラモンに対立し、司祭の行為を無意味なものだとした、新しい思想を持つシュラマナ。神の観念を否定し、神を持たない宗教であるため、哲学とも考えられる。)
ヨガの経典と言われるヨガスートラを書いたパタンジャリは仏教とジャイナ教をもとにした思想と、彼独自の瞑想法から本を書いています。
○パタンジャリ独自の瞑想法はとても奥深い世界です。これについても、またの機会に取り上げていきたいと思います。
関連記事はこちら。ヴェーダとヨガの比較について。哲学ワーク参加者のご感想も掲載しています。
https://clarayoga.net/archives/1649
アーユルヴェーダの大切にする考え方はこちら
https://clarayoga.net/archives/1539
ヴェーダ、
古典的なヨガ、
現代のヨガ。
どの考え方も面白く、興味深いものです。
これからも必要に応じて選び、毎日のアーサナ(ポーズ)の練習や生活に取り入れていきたいと思います。
古典的なヨガの起源を知った上で、現代のフィットネス的な要素も大切にするヨガを行うことで、単なるフィットネスだけでなく、より快適に現代社会を生きていくたくさんのヒントが見つかるものだと思います。
アーサナプラクティスやアーユルヴェーダは、心身を浄化し、ヨガの瞑想法を快適に深めやすくするために大切なものです。
まずは健康な身体づくりから始めましょう♪
今日の記事は、2017年現在、欧州で研究されている最新情報をもとに書いています。
コメントを残す