純粋に、単純に、「これが(本当は)いちばん幸せ」だと思っていた願いを叶えてあげましょう。
今日はそんなひとりごと(長文)です。
大人になるほど、
みんな不幸と折り合いをつけて生きている
未来のために、本心と違う行動を取らなきゃいけないこともある
それも間違いではない。
最善かもしれない。
それでもいつか、無理をしていると気づくときがある。
その時、
あきらめたまま自分の本心に向き合わず進むのか。
心の奥底と向き合い立ち止まるのか。
本当の自分の考えを知るってとても難しい。なかなかできることではない。
それでも、気付いた時に立ち止まって、考えて、気付いて、認める。
そうすることで本来の自分を取り戻し、また今までの苦労を受け入れて、その両方を持った新しい可能性が開けるのだと思います。
頑張らなくてはいけない時期には、無理をする以外他に方法がないかもしれない。
その時期を経て、自分の力で生きていくような能力を身につけたとき、力のなかった頃の自分へ本当に心からしてあげたかったことを、
叶えてあげることができるようになるのではないでしょうか。
心の中にある幸せ、叶えることのできる幸せを、自分自身の選択で、叶えてあげましょう。
本当は助けてほしかった
あたたかいところで、ゆっくりと、安心して過ごしたかった
がむしゃらに結果だけを追い求める日々に、疲れを感じていた
自分の一番の願いを叶えてあげたかった(ほしいものは、2番、3番目のものをいくら手に入れたって、なかなか満たされることはありません)
謝りたかったこと
伝えたかったこと
感謝したかったこと
大切にしたかったこと。それらを思い出し(きっと自分の中にあります)、噛み砕き、消化する。
それこそが、いちばんの安定と成長につながることかもしれません。
たとえば、
助けてほしかった気持ち。
けれど、1人で生きていく力が必要だった現実と、誰にも頼らず生きたい、という相反する考えを優先したら。
欲しかった力を身につけた後も、何の不足もないのに無駄に頑張り続けていることに、きっと気づくときがきます。
あれもこれも手に入れることに、わがままだと思っているのは自分だけかもしれない。
あなたが幸せになることを、客観的にみてわがままだと思う人はいるだろうか。
きっといないはず。
自分が幸せになるために、自分の幸せを受け入れてあげていい。
心の奥にある気持ちを見極めて、より良い道を選んで、それから、ひとつひとつ進んでいけばいい。
自分を助けるのは他の誰でもない、自分自身。
純粋に、単純に、「これが(本当は)いちばん幸せ」だと思っていた願いを叶えてあげましょう。
長い間違う道を選んでいても、遅くないかもしれません。
本当の満足が得られるのは、自分自身でその願いを叶えてあげた時です。
過去の選択に、何も間違いはありません。
それでも、がむしゃらにずっと同じ道を進んでいるあいだに、本当の願いにふと気づくことがあると思います。
気付いてからは、自分の「魂」から、「ありがとう」と言ってもらえるような選択肢を選びましょう。
助けてあげられるのは、救ってあげられるのは、他でもない「あなた」本人だけです。
ゆっくりとした、何の心配もない、心から幸せを感じることができる未来のために。
わがままでもいい。
すべてを手に入れる。
それぞれの人にとって、「ずべて」って全然違う物。ひとりひとりにとっての「喜び」は、その人そのもの。
人のほしいもの、みんなのほしいもの、自分のほしいもの、それぞれみんな違う。
だから、自分に必要なものはすべて手に入れていい。
毎日少しずつ、不必要なものを手放しながら、叶えていきましょう。
いつも目的を持って、
目的に向かって進んでいきましょう。
もし生きるために必死だったとしても、
大変な環境にあったとしても。
今「生きている」ということは、夢を叶える、「夢が何なのか知る」ために居るってこと。
大人になるにつれて不器用がやがて器用になり、できなかったことや叶えられなかったことも子供の頃に比べたら一見なんでもできるようになってるように見える。そうするうちに本来の夢なんて遠い昔のことになってしまうかもしれないし、気付きすらしないのかもしれない。
不器用だった頃の、まだ助けてほしかった頃の、本当に叶ったら嬉しかったことを、大人になってからもう一度見つめてみよう。
叶わないと思い込んでいるだけで、
大切なことが、簡単に、叶うかもしれない。
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