文学と哲学
「哲学者は比較的健康で幸せな人生を送った人物が多いが、小説家は不運だったり短命で不健康な人物も多かった」と講義で知ったのは18くらいの頃、
「哲学なんてポジティブで明るくて普通なもの、面白くないから私は一生学ぶことないな」と当時思った。
そして「私、そういえば数年前から哲学を学んでいたー!」と気付いたのはつい昨日のこと。気付くのがかなり遅かった!(笑)
例えば文武両道とか才色兼備とか、「僕は私は普通の人物だからどれか1つしか無理」と自分で決めているパターンや人って多くないかな。色々な要素、側面を手に入れるには何が必要かって、「心」以外の何物でもないと私は最近思う。例えば「自分はスポーツしか出来ない」と思う選手や学生さんも能力を制限しているかもしれないし、「私には音楽しかない」と思っている人は怪我や年齢の心配をしなくてはいけないかもしれない。それ以外を持っていることを知っている人は人生楽しめる。美人なだけでそれ以外に何も持ってなければ才色兼備は無理で、見た目がそこそこでも知恵があれば才色兼備にはなりうる要素がある。
「私はスポーツはできないけど文科系のことならできる」とか、そういうのも決めつけだったりするかもしれないし、
手放すのがこわいのかもしれない。他の側面を受け入れることで、今持っている芸術的な能力や才能や要素が減るかもしれないって恐れかもしれない。
私は最近、人のキャパは人それぞれ「大きさ」が違うと思うし、
1つ違う側面を認めることで、「能力」は2倍になると思う。
芸術家だけど哲学的な考え方が出来て、能力も幸せも両方手に入れてる人物もいる。
幸せな思考になっては失う能力があるかもしれないと勘違いしていては勿体無いかもしれない。
「どれももしかしたら出来るかもしれない」という思考では何も失うことはない、全部手に入れることができる。
芸術的な側面が減るのではという恐れから、色々なことを制限している場合、
むしろ、影を知った上で経験した上で
ポジティブな思考を経験、記憶していくと、
自分や他者の心理など多く理解した上で物事に取り組むと、
芸術だけを愛していた時の能力を超える可能性だってある。
ついでにそういう人は能力で成功できる可能性も高くなる。道を切り開いていける強さと柔軟性ができるので。
全部持ち得る、全部持っているということに気付くこと。
全方向に可能性が広がる。
すでに持っているということを知ること。すでに自分が幸せであるということを知ること。幸せは外部ではなく自分の中にあることを知る。これを言葉で知るのではなく、経験で知る♪この状態を知っていると見る世界も輝いて見える。私が体感・経験した究極は今のところこの辺です♪
私にとってまさかの哲学♪(どれかといえばヨガなのでインド哲学。)意外と哲学は奥深い。
ポジティブなことを学び記憶を積み重ねていくとかそういう単純なものじゃない。暗い面も明るい面も全て経験で、過去にマイナスな経験をしてそれはそれと見ることができるのは、何も経験しないよりも強い。
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